人気ブログランキング | 話題のタグを見る
旅の前半、サンティアゴ巡礼は、スペインの美しい自然やこの巡礼路の長い歴史を十二分に満喫した旅でした。しかし一方では、巡礼初日から体調不良の中を歩いた妻だけでなく、出会った殆どの人が身体の故障・怪我、体調不良などで辛い体験をするという厳しい旅でした。そんな中、我々二人が、33日間、サンティアゴまでの約760Kmを無事に歩き通す事が出来ました。旅の間中ずっと、体調や食べ物をうまくコントロールしてくれた妻や、メール・ブログ等で励ましてくれた皆さんのお陰と感謝しております。旅の後半、スペイン各地の観光では、毎日十分に時間を使い、美しい建物や美術品を存分に楽しみました。また、余りおいしい食べ物を頂き過ぎ、巡礼中に折角少しスリムになった体も、直ぐに元の黙阿弥状態へと戻りました。

帰国後一週間程は、妻も私も疲れが出たようで、殆ど何もせずに過ごしました。しかしそのあとは、うだるような湿気と暑さに辟易としながらも、溜まっている旅の写真や記録の整理を始め、体重減少と体力回復のための早朝ウォークも再開しました。8月末には、スペイン巡礼中に随分お世話になったHさんに再会し、完成させたばかりの旅行記を読ませてもらったり、スペイン話を肴に美味しいワインを一緒に飲んだりする事が出来ました。また9月には、かって同じ会社で一緒に働いた美しい二人の女性に今回の旅の話をしたり、写真を見て頂いたりする機会がありました。

このような経緯も経て、5/7の旅の初日から7/7旅の終わりまでの全日程についての再編集作業を完了し、今この「終わりの言葉」を書くまでに至りました。再編集前の内容を既にお読み頂いた方には、もう一度この部分に戻り、お読みいただければと思います。

この長いスペインの旅を通して、「この地の人々は、厳しい自然や困難な歴史の中で、何世代にも亘り、強い精神と明るく健康な心を持ち続け、その時々に各人が行うべき事を行い続けてきた。だからこそ、この国独自の優れた文化・芸術、美しい自然、人情味あふれる気質までもが生まれた」と、私は思うようになりました。こんな私のスペインボケ、巡礼ボケは当分治まりそうになく、「①フランスからピレネー越えの巡礼路を歩いた後、②イタリア各地を観光する」という来年の計画を、私から妻に提案中です。②のイタリア観光は、「歩き旅は、今回でもう十分」と言っている妻を巻き込むための作戦でもあります。

これからは来年の旅の準備・計画だけでなく、イタリアの歴史、建物、美術、言葉等の勉強も始めようと思っています。つい先日、私と同じ年の友人が脳動脈瘤破裂で急死しました。彼はそれまで血圧等も正常で、私の糖尿病のように持病もなく、全くの健康人だったそうです。そんな事もあり、「暇だから、何かをやる」のではなく、「限りある時間=今を大切にし、新たな事にいつも全力挑戦し続けていきたい」と、これまで以上に強く思っています。

私達の新たな旅が始まったら、またブログでその様子をお伝えしたいと考えています。
皆さんの応援、これからもよろしくお願いします。どうもありがとうございました


妻の一言
本当に充実して楽しんできた。  父さんありがとう。 みんなもありがとう。
帰宅。 性格上、いつも綺麗に片づけてから旅行に出掛ける私。真夜中に帰宅してホテルの様にきれいな部屋に帰れて気持ち良かった。自分の性癖に感謝。
しかし、あっと言う間に散らかった部屋になった。(いつも通りや・・・)
そして、2カ月も放りっぱなしのベランダの植木が全部生きていた。 
びっくり!!すぐに水を遣った。    

私達二人は、2012年5月7日から7月7日までの62日間に亘り、前半はスペイン東端のロンセスバジェスからサンティアゴデラコンポステラへの巡礼旅を、そして後半はスペイン各地の観光を楽しみました。  

また、この旅をきっかけに、私にとっては最初となるこのブログ「スペイン 巡礼と観光の旅」 (http://mikitanuki.exblog.jp/) を始めました。最初は、このブログをスペインの巡礼や観光を将来予定する人に役立ててもらえるようにと、旅出発前の準備の様子から自宅のPCを使って書き始めました。実際の旅が始まってからは、小さな画面のiPod touchでの書き込みが時には2時間以上もかかったり、巡礼中はWifiが使えないアルベルゲが殆どで、ファイルをなかなか送信できなかったりしたため、旅と同時進行でブログを更新し続けるのは、結構大変でした。でも、このブログを読んだ家族、友人、そして親戚のみんなまでが、励ましのコメント書き込みやメールをくれました。そして、そんなみんなに我々の元気な様子を知ってもらい、みんなからの声を聞けるのが楽しみと励みになり、日々ブログの更新を続けました。

 しかし、こんなブログには、① iPod touch内蔵の画素数の少ない映像カメラによる写真しか使えず、写りが余り良くない ② 旅行中は時間的な余裕が十分なかったり、素晴らしい建造物や絵画等を見ても、自分の知識が無くてその価値や美しさが分からなかったりで、このブログに十分に書くことができなかった ③巡礼後半から観光旅行の部分では、毎日のブログ書きの「飽き、疲れ、慣れ」もあって、あまり代わり映えしない食べ物ネタばかり・・・等の多くの反省点がありました。

そのため、旅を終え帰国し、ほぼ一月ゆっくり休養時間をとった後、このブログ内容の再編集作業をぼちぼちと始めたのです。この再編集は、次のような方法・方針で行いました。

・ ブログ本文については、元の文章の主旨を変えない(誤記修正や最小限の書き足し)。
・ ブログ本文中の写真を、デジカメで撮ったよりもので変更、追加。
・ 自分の知識や理解力の不足を補うため、書籍やネットから収集した情報や写真も出来るだけ追加。
・ 元の文章になかった追加情報は青字で追加。
・ 一緒に旅した妻のコメントをピンク枠で追加。
・ 再編集後の全ての文書、写真を含む電子ブック(PDFファイル)を別途作成。

ようやくのこの再編集の作業を終える事が出来たので、このブログのスペイン巡礼編の初日から順番に、改定した内容に変更して行く予定でいます。全てが再編集後の内容に置き換わるのは、1・2週間かかるかと思います。

このブログ内容の再編集により、私の面白みに欠けた臭~い文章だけでなく、元気な妻のコメントが加わったので、この改定版は以前よりは大分ましになったものと確信していますが、みなさんの感想はどうでしょうか? 今回のスペイン旅行での私達の体験や学びを、少しでも多くの方々と共有できればこのうえない喜びです。
6日の朝9時に全州をバスで立ち、12時過ぎにソウルに着き、繁華街明洞(ミョンドン)にも近いホテルにチェックイン。そして地下鉄でソウル駅の近くのロッテマートで朝鮮漬けなどの韓国食材を買い出しに。これまでのスペインや全州と違って、ソウルはこれまで何度も来たことがあるので、計画を立てたり、行動したりするのが楽でした。また、この日の夜は、スペイン巡礼仲間の韓国の若者たちとの食事会の予定がありました。

スペイン巡礼の旅では、韓国の若い(我々の息子と同年齢かそれ以下の)男女数名と、途中の道やアルベルゲが何度も一緒になり、とても親しくなりましたが、旅の終盤には彼らは私達より3日くらい先行しており、もう会えないだろうと思っていました。しかし、なんと巡礼完結の地フィニステーラで、彼等のうちの4名に再会したのです。事情を聞くと、旅の間一番しっかり者でリーダー的な存在であったS君が、「サンティアゴ・デ・コンポステラに着いた直後に右の足首が腫れ上がり全く歩けなくなった。フィニステラまで3日間かけて歩く予定を変更し、数日休んだ。やっと回復した今日、バスで来た。」ということでした。そんなフィニステラでの劇的な再会があり、私達が帰路ソウルに立ち寄った時に母親と一緒にやっているS君の焼肉店で集まろうという事になったのです。

その夕食会は、S君のほか女性2人が我々を迎えてくれ、午後8時半過ぎから始まりました。
まずはみんなの巡礼後の様子を聞きました。S君は、パリに2日いて帰国し、店の仕事をやってるそうです。T嬢は、マドリードで数日過ごし、帰国後は無職の状態だそうです。英語ペラペラ、日本語も話せる才媛A嬢は、バルセロナで数日観光後、今はスペイン巡礼の本を書くための準備中だそうです。豊かな才能とユーモアを持つ彼女だから、内容があって面白い本をきっと書くでしょう。韓国語の本だと言っていたので、私は読む事が出来ないのが、とても残念ですが。この3人は、今回参加できなかったカミノ仲間ともこれまで時々会うことがあり、みんな元気にやっていると聞き、とても嬉しく思いました。
さて、この夕食会のメインは、豚バラ3枚肉の焼肉(サムギョプサル)です。韓国の焼肉はサンチュなどの葉にくるんで食べるのが普通ですが、甘酸っぱい大根の漬物、もやし,香草、ネギなどを、海苔の上に乗せ、これで焼肉をを巻いてたべるというこの店独自の食べ方で頂きましたが、これが美味いこと美味いこと。我々の食事中ずっと、店主のS君が食べ方を教えてくれ、T嬢は焼けた肉や野菜を切り分けてくれ、A嬢が今回の旅での面白かった色んな人や出来事の話をしてくれ、本当に楽しい夕食会になりました。更にS君のお母さん手作りのエゴマ漬けがとても美味しいと妻が褒めたら、お母さんが持たせてくれ、嬉しい土産になりました。この楽しい夕食会も11時に終わり、S君の車で送ってもらいホテルに着いたのは11:40。ソウルでのこんなに素晴らしい時間を作ってくれた3人の若者たちに深く感謝し、そして近い将来に是非、彼らとまた会いたいと思っています。
7/6 - 7 韓国ソウル ->  日本(帰宅)_e0273924_10203169.jpg

7/6 - 7 韓国ソウル ->  日本(帰宅)_e0273924_10223486.jpg


翌日7日の朝ホテルで荷物をまとめたのち、ソウル駅に行き、空港鉄道の切符の購入と名古屋行きの飛行機のチェックインを済ます。この時リュックやカバンなどの大きな荷物は全て航空会社に預けられるので、午後の行動が楽にできて良かった。また、韓国の航空会社を利用する乗客は、航空鉄道料金の割引があり、わずか600円くらいでインチョン空港まで行けました。

午後は李王朝の始祖李成桂の建てた王宮、景福宮(キョンボックン)に。ここは、この前に来た時より整備され綺麗になっていました。また、中国本土からの団体観光客が多く、にぎやかなので、よく目立ちますした。
7/6 - 7 韓国ソウル ->  日本(帰宅)_e0273924_10263531.jpg


午後4:30 ソウル駅から電車で43分、インチョン空港に移動。空港内の韓国文化紹介コーナーをのぞいたり、カードラウンジでビールを頂いたりして時間をつぶした後、いよいよ午後7時発の飛行機で名古屋空港に。この便では、我々はビジネスクラスのシートが貰えたので、2時間弱だが、いつものエコノミーよりゆったりとしたシートと少し立派な機内食を楽しむことが出来ました。飛行機が梅雨前線の影響で少し遅れが出たため、ぎりぎりではあったが、浜松駅行きの最終高速バス9:50に間に合う。

自宅には深夜12時前に到着し、これで 5/7~7/7までの2カ月、62日間の長旅を無事終える事が出来ました。ブログやメールを通しての皆さんからの応援、どうもありがとうございました。
# by mikitanuki | 2012-07-09 23:18 | 韓国
マドリード空港を7/3の午前11:15に出て、韓国の仁川(インチョン)空港に4日の朝6時過ぎに到着。午前7時半、空港から高速バスに乗り、約4時間弱で全州(チョンジュ)に。

全州は、李王朝の始祖李成の出身地であり、当時の貴族や高級官僚の両班(ヤンバン)らの屋敷だった韓屋が建ち並ぶ古い街並みが残っています。古い街並み、家屋を利用し、韓国の伝統的な酒、陶芸、韓紙、扇子などの博物館や作家の工房なども多く、日本の京都、高山、倉敷などと同じように、若い女性に人気が高い町だそうです。最近は韓国内だけでなく、海外からも、韓屋での宿泊や韓国文化の体験をするために多くの観光客がやって来るほどに有名です。
7/4 - 6 韓国 全州(チョンジュ)_e0273924_22245355.jpg

7/4 - 6 韓国 全州(チョンジュ)_e0273924_2226473.jpg

全州は、韓国料理を代表するビビンバの発祥の地としても知られ、もやし入り韓国風粥(コムナムルクッパ)でも知られています。私達も丁度お昼時にホテルに着いたので、ホテルで教えて貰った店でコンナムルクッパを注文。例によってがキムチなどの付け出しが何皿も、次にグツグツと煮立ったコンナムルクッパが黒い鋳物の鍋に入り登場し、一口食べて、思わず唸る。日本食にも通じる旨味たっぷりのスープ、ほぼ2ヶ月のブランクですから、たまりませんでした。あまりにも旨く、しかも安くて(5000W≒ 400円)、ホテルにも近かったので、このもやし粥の店には全州にいた2日間で3回も通いました。
7/4 - 6 韓国 全州(チョンジュ)_e0273924_21473272.jpg

ビビンバは、スペイン巡礼中に友達になった若い韓国人の女の子に教わった古宮(ゴグン)という店で食べました。ここのビビンバは、かき混ぜて食べるのが惜しいくらいに、沢山の食材がとても綺麗にもりつけられいて、味も最高でした。
7/4 - 6 韓国 全州(チョンジュ)_e0273924_21494598.jpg

7/4 - 6 韓国 全州(チョンジュ)_e0273924_2204772.jpg

こうして、全州で2日間、韓国のうまいものを食べ、素晴らしい建物や文化をゆっくり楽しみました。そして、6日の朝9時半過ぎ、再び高速バスに乗り、今回の旅の最終宿泊地となるソウルに向かい出発ました。

妻の一言
今までの好天気のつきが落ちたかのごとく雨が降った。
全州は遠かった。4時間余、エアコン効き過ぎバスで。 でも鄙びたいい所で、行って良かった。
もやしクッパ 色々付いて500円  安い!  
韓国人でキムチ食べない人いるのよね。もったいない!
 
# by mikitanuki | 2012-07-09 22:29 | 韓国
5/8の朝にマドリード空港についた時から始まった今回のスペインの旅も、6/29の午後5時に再びマドリードに戻り、いよいよ終わりが近づきました。
 今回もマドリードの旧市街の中心、プエルタデソル(太陽の門)広場の近くのホテルHostal Madridで、多くの観光スポットが歩いて行ける距離です。ホテルに着き、最初にもらった部屋が余り良くなかったので変えるよう要求したら、この週末は祭りのようなものがあり、部屋が一杯だと受付は言う。しばらく粘っていると、10€増しでキッチン付きのアパートがあると言う。見てみると、最初の部屋より良くまあまあと言える程度なのでこちらに決定。
その後6/30, 7/1の2日間は、この地の利を生かし、マヨール広場、スペイン広場に行ったり、プラド美術館、ソフィア王女美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館と言う3つの大きな美術館で、ゆっくり時間をとって楽しみました。ピカソのゲルニカなどを含め数多くの有名な作品を見ることができました。中でも、ダリの超写実主義の神秘的な絵にとても惹かれました。今回の旅では、スペイン全土の文化的遺産をつぶさに見る機会が有りました。そして知れば知るほどに関心が深まり、今回の旅から帰ったらスペイン語だけでなく、スペインの歴史、建築、そして美術などについてもう少し詳しく勉強したいと思うようになっています。
さて7/1は、スペインとイタリアのサッカー試合があり、マドリードのどこの 街中を歩いていても、スペインのチームカラーの赤と黄のシャツを着た人を多く見かけました。又夕方からは近くのバルには、試合開始前から多くの人たちが集まり始め、旗、太鼓やラッパで大騒ぎです。そして、その後の22:40には町中ラッパの音が鳴り響きました。そうです。対イタリアのサッカー試合で、スペインが4対0と言う圧倒的な強さでイタリアに勝った為です。それから夜遅くまでずっと賑わいが続き、朝のテレビも繰り返しその勝利が放送されます。スペイン語なので詳しく解らなかったので、今日(7/2)インターネットで調べたら、4連続のヨーロッパチャンピオンという歴史的な偉業達成だったようです。

そのため今日7/2はマドリードに戻ってきた選手達のパレードが午後9時ごろから近くであるというので、見に出かけました。そしたら余りにも凄い人出と熱気で前まで進むことも出来ず、大画面のオーロラビジョンで選手達がやって来るのを見ました。現場には、若者だけでなく、お爺ちゃん、おばあちゃん、そして子供や赤ちゃんまで来ていて、みんな完全にお祭りのようなノリで、本当にスペインの人達のサッカー好き、お祭り好きには呆れてしまうほどです。
6/29 ~7/3 マドリード_e0273924_17334672.jpg


さて、明日3日にはスペインを立ち、ソウルに向かいます。そして韓国で3泊した後の7日夜に名古屋空港、同日夜12時前に自宅に着く予定です。あと少しですが韓国の旅の様子も書きますので、またブログを覗いて見てください。

妻の一言
マドリッドのホテルは、日本を立つ前に予約していた。
太陽広場(プエルタ・デ・ソル)のすぐ近くで、夜も賑やか。
日本の我が家で窓を開けて寝ると車の騒音でうるさいが その下地があってこそ眠れる部屋だわ。
スペイン人はサッカーに熱狂して その後2時過ぎまで大声・鳴り物いりで騒いでいる様だ。
それでも我々は次の日寝不足でなかったから 寝てましたね。
ホテルは余分に支払ってキッチン付きのコンドミニアムになったから、
近くのエル・コルテ・イングレスで買い物して料理して食べた。
店でも食べたが、「ゆでる・蒸す・焼く・チンする」でできるものは自分で。
材料は安いので くいしん坊には、キッチン付きの部屋はいい。
巡礼中と比べマドリッドでは、外で飲むと ビールもワインも段々高くなった。
はまぐり蒸しオイルかけ・パエリヤなどつくり、山程のごみを置いてきたが、きっとびっくりされたことだろう。

マドリッドはさながら美術館めぐり。
もう1泊あったら 予定通りセゴビアのローマ橋を見に行けたのに残念。

6/29 ~7/3 マドリード_e0273924_17532854.jpg
6/29 ~7/3 マドリード_e0273924_1754113.jpg
6/29 ~7/3 マドリード_e0273924_17542130.jpg
6/29 ~7/3 マドリード_e0273924_17544956.jpg